「 お餅理論 」の補足 ( 3 )

( つづき )


・ 「 日本のパラダイム転換


「 Mura社会 」( お餅社会 )は
前近代的な規範&定義で動いている。

しかし、
近年はグローバル化などの影響で、
前近代的な規範と近代的な規範、
両方の規範が混在している。

そのため、
日本の社会がとても混乱している。



チャーハンを志向するもの

「個性の尊重」、 「多様な価値観」、
「ゆとり教育」、 「学校選択制」、 「説明責任」、
「コンプライアンス」、 「インフォームド・コンセント」、など。
         PTAで言うと、「任意加入の徹底」。



お餅を志向するもの

「道徳教育」、 「心の教育」、
「学校支援地域本部」、 「コミュニティスクール」、
「正しい日本語」、 「美しい国」、 「明治の人は偉かった」、など。
         PTAで言うと、「学級PTAの充実」。




そして…。

右肩下がりの時代に
Mura社会を無理に続けると
「弱者」や「将来世代」にツケが回る。
 
・ Mura社会 = 「 ネズミ講&奴隷制 」




不登校、 ひきこもり、 ニート、
うつ、 いじめ、 ワープア、 失業、 自殺、
少子化、 財政難、 談合、 偽装、 隠ぺい、 …。


いろいろな社会問題が深刻になっていくのは
Mura社会が壊れかかっているからではないだろうか。

・ 「 ネズミ講&奴隷制 」の破たん。

 

 



それから…。


日本のアカデミズム(人文社会科学系)では
「 日本と欧米は同じ近代社会 」ということを前提にしている。

なので…、
日本の特殊性を指摘すると
「 俗流 」というレッテルを張って、無視することが多い。
                       ( 日本人論





一方…、
国家の品格」や「クオリア立国論」という本がある。

こちらはたぶん
「 お餅のままでいるべきだ。 」と主張している。






お餅に対するスタンス


(1) 日本はお餅社会である。 
  でも、このままでいい。        藤原さん茂木さん

(2) 日本はお餅社会である。 
   改革したほうがいい。        ← もれ

(3) 日本はお餅社会ではない。
  お米&チャーハン社会である。   ← 日本のアカデミズム 

(4) 態度保留。

(5)「 関心がない。 」 or 「 関わりたくない。 」



                           


で…、結論としては


日本は一度 解散 せざるをえない。
             ( お餅チャーハン
                

 
方法としては、

「お餅(Mura)」を意識化すること。 (=対象化)


  → 「 精神構造 」「 言語構造 」「 社会構造 」の転換へ。


 
          



・ 「 精神構造の転換 」について。


 ・「 お餅精神 」→ 「 チャーハン精神 」
  ( 和の精神 )
  
 ・ 「 お餅教育 」 → 「 チャーハン教育 」


 ・ 「チャーハン教育
      = 「 人権(個人の尊重)教育 」
      = 「 法令遵守(コンプライアンス)教育 」     
      = 「 『個人の自立』(主体と客体の分離)教育 」
      = 「 民主化教育 」
      = 「 リベラルな教育改革 」
      = 「 規範意識(パラダイム)の転換 」

      = 「 精神的な開国

      ≒ (簡単に言うと)「 ルールを守ること 」


      





               
・ 「 言語構造の転換 」について。


 個人的には
 「 恩恵表現 」がとても苦手。

 てか、
 「 互酬表現 」と言うほうがいいかな?

  「-てあげる」 (-てさしあげる)
  「-てくれる」 (-てくださる)
  「-てもらう」 (-ていただく)  など。



 なれ合っている感じとか、
 「慇懃無礼」という感じとか。

 恩に着せるような感じとか、
 媚を売るような感じとか。

 息苦しいような感じとか、
 疎外するような感じとか。


 お餅化表現なんだから
 当たり前なんだけどね。

 自分も使ってるし。 ( ^^;)

 



 他のお餅化表現としては、
 「敬語」と「女言葉」が苦手。



 「 敬語 」は、
 上下関係(序列)の中に組み込まれる感じ。



 「 女言葉 」は、
 女性としての「役割や身分」の中に組み込まれる感じ。
          
                     = 「 女Mura 」 (?)





 ・ 「 お餅化表現 」 = 「 公共性がない 」

   お仲間に対する配慮はあるけど
   第三者に対する配慮は、ない。


   少なくとも、
   率直な議論をする場所では
   ふさわしくない感じがする。


 



 それから、
 「二重定義」の意識化も大事。







・ 「 社会構造の転換 」について。


 公共事業型社会保障 とか、
 景気浮揚型社会保障とか、
 イベント型社会保障とか。

 日本の社会は
 公金で互酬経済(ネズミ講)を回しているように見える。
 

    ( 互酬経済について )

     経済の形態には
     「互酬経済」と「貨幣経済」があるらしい。

     「 互酬経済 」
       = 「 貨幣経済になる前の経済のこと 」
       = 「 『持ちつ持たれつ』や『お互い様』で回る経済 」

     参考までに。
     「 なぜ理不尽な規則が生き残るのか 」という 記事





 本当に必要な所に、
 もっと直接的にお金を使ったほうがいい。

 「Mura単位」のばらまきを減らして
 「個人単位」の社会保障を充実させるような感じ。



 たとえば、
 PTA活動の中には必要不可欠な仕事もある。

 運動会の時の駐輪・駐車の世話係や、
 プールの監視員など。


 こういう仕事は
 非常勤の職員を雇うほうがいい。
 (本来は学校の仕事)

by tanuko-satoyama | 2009-07-27 22:32 | お餅理論 (主体と客体の融合)  

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